マドリードでエストレマドゥーラのカンテの普及に大きな役割を果たした人気カンタオール、ラモン・エル・ポルトゥゲスの最近の逝去を受け、彼の故郷に根ざしたフラメンコのどこか異国的な響きが思い出されるようになった。このアンダルシア以外に起源を持つカンテの、独特で印象的な余韻は実に魅力的だ。エストレマドゥーラの人々は独自の香りを持つフラメンコの世界を築き上げている。彼らが「ハレオス」と呼ぶ軽やかなブレリアは、ヘレスとは遠く離れた感覚を持ち、タンゴには湿った大地の匂いが漂う。
オレ、オレ、各地に息づくカンテに賛辞を。もしアンダルシアやムルシア、カルタヘーナ、さらにはマドリードやカタルーニャといった地域を取り除いてしまったら、プラサ・アルタの精霊たちも仕事がほとんどなくなってしまうだろう。しかしエストレマドゥーラは唯一無二であり、そのカンテの一つひとつが「俺はここにいる」という叫びなのだ。
≪パコ・サンブラーノは、1970年代のマドリードでエストレマドゥーラのカンテが広まった大きな要因の1つがカマロンにあったという私の見解を認めなかった。サンブラーノは、その役割はポリーナスこそが決定的に担っていたと主張していた。≫
どうしてあなたを愛せばいいのか、
ああ、どうして愛せばいいのか、
その性格では
誰もあなたのそばで生きていけない
あなたの気まぐれに振り回さないで、
ああ、気まぐれに振り回さないで、
あなたが近づいてくると
その思惑がすぐにわかる
フアン・カンテーロが生み出し広めたこのタンゴ・エストレメーニョのスタイルを聴くと、1970年代のマドリードにあったかつてのアモール・デ・ディオスが思い出される。当時非常に活気のあったあの場所だ。市場の跡地にあった現在の学校ではなく、アモール・デ・ディオス通りにあった古びた建物の中の稽古場のことだ。そこではタップダンスやオペラ、クラシックバレエに加え、フラメンコの個人レッスンも行われ、ラ・タティ、メルチェ・エスメラルダ、パコ・フェルナンデス、シロ、マリア・マグダレーナといった愛すべき名匠たちがリハーサルをしたりしていた。








